通学の間に、南海ホークス(現ソフトバンクホークス)に関する本を読んでいたら、大阪球場が在りし日にタイムスリップしたくなった。
周りの人々には度々口にしているのですが、僕は生まれるのが後10年早かったら、間違いなく巨人ファンでなく南海ファンになっていたと思います。
そもそも僕は、生まれてから小1の最初まで、現在通学に使っている最寄り駅の近くにあるマンションに住んでいました。つまり、南海電鉄の某駅から徒歩数分の場所に住んでいたのです。
幼稚園の頃、窓から外を眺めれば、そこには南海電車がお客を乗せて走っている。必然的に、僕は電車好き、より深く言えば南海電車好きになっていました。
そんな大好きな南海電鉄が、プロ野球チームを持っていた。僕は小学生頃に野球を始めていますので、逆算すれば、南海電車が大好きな僕は、これまた必然的に南海ホークスのファンになっていた事は間違い無い、と、確信できます。
といっても、僕が生まれた時、既に南海はホークスをダイエーに身売りしており、関西空港の設置に関連して大阪球場も閉鎖状態(晩年は住宅公園ができていた頃もあったそうです)でした。
空港専用特急で、現在も南海の看板列車の「ラピート」専用のホームを難波駅に作る為に、スタンドの一部が削られた大阪球場。記憶の断片にしか残っていませんが、その削られた部分から球場のスコアボードが見えたのを今でも記憶しています。
今、大阪球場は、「なんばパークス」という複合商業施設に生まれ変わっています。
大阪球場のホームベースとピッチャーズプレートがあった場所には、記念のモニュメントとプレートが置かれています。以前そこに足を運んだ時には、「ここにノムさん(野村克也氏)が座っていたのか」と、感動しました。
ノムさんがチームを去って以降、急速に弱体化・最下位が当たり前になり、経営もドンドン苦しい状況となっていった。加えて、関西空港の開業。
様々な問題に当たった事で、身売りは必然、寧ろ(今日の南海電鉄そのものの経営不振を考えると)遅すぎたのかもしれません。
それでも、今もまだ残っていて欲しかったなぁ、南海ホークス。

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